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“土の色”がつくる風景|地域文化を映像で読み解く

私たちが何気なく歩く地面の色は、実はその土地の歴史や気候を語っています。
黒々とした火山灰の大地には農業が、赤土の地域には焼き物や瓦の文化が根づき、
「土の色」を映像で捉えることは、土地の“DNA”を可視化する試みといえるでしょう。
空撮では広がりを、接写では粒子の質感を伝える。
同じ「土」でも、わずかな色の違いに地域の物語が見えてきます。

映像で“色の深さ”を描く

色そのものをテーマにするなら、光の扱いが最も重要です。
午前と午後で異なるトーンを比較して撮ると、土の持つ表情が立体的になります。
また、湿った状態と乾いた状態を交互に映すと、単調になりません。
動画の中で「土をこねる」「崩す」「焼く」といった工程をつなぐことで、
“動く色”としての魅力が伝わります。
図で整理すると以下のような構成が考えられる。

カット 対象 撮影ポイント
1 畑(土を掘る) 光量を抑えて粒感を強調
2 陶芸(こねる手元) 湿り気の反射を捉える
3 建材(土壁や瓦) 乾燥した質感との対比を見せる

“土の文化”を一本の映像でつなぐ

興味深いのは、異なる産業が「土」という共通の素材で結びついている点です。
畑を耕す人、器を焼く職人、家を建てる大工と、
立場は違っても、同じ大地の恵みを手にしています。
映像ではそれぞれの手元をリレーのように繋げると、
「一つの土が多様な形に生まれ変わる」流れが自然に伝わり、
派手な演出は不要で、淡々とした記録がかえって説得力を持たせます。

“音”に重点を置く

このテーマでは、言葉よりも「音」に重点を置みます。
鍬が土を打つ音、手のひらでこねる音、窯の中で鳴る火の音。
それらを丁寧に拾うことで、無意識のうちに“土地の空気”を感じ取れます。
静寂の中に響く音が、映像に奥行きを与え、ナレーションを入れない選択も、
作品の完成度を高める一手となるでしょう。

地域の色彩感覚を再発見する

土の色を追う映像は、地域の誇りを再確認するきっかけにもなります。
「地味」と見過ごされてきた景色の中に、確かな美があり、
地元の人々にとっては“当たり前”の色が、外から見ると貴重な文化資源に変わります。
映像はその価値を再発見させる鏡であり、観る人の記憶にも残ります。

「土の色を撮る」という行為は、単なる自然映像の域を超え、
土地と人の関係を掘り下げる文化ドキュメントであり、
同時に“地域を語る手段”としての映像表現でもあります。
カメラが地面を向く瞬間、そこには風景ではなく“生き方”が映っています。

早送り文化の中で、感情の速度が変わる映像表現

YouTube・Netflix・TikTokなど多くのプラットフォームで「倍速視聴」は当たり前になりつつあります。特に20〜30代の利用者の中では、「1倍速だと遅く感じる」と答える人も。
これは単に時間を節約する行動ではなく、「感情を受け取るテンポ」自体が変化しているかもしれません。SNSが“スクロール文化”を生み、数秒ごとに情報を切り替えるリズムが、私たちの感受性にも影響しているのでしょう。

“感情の速度”が変わる

倍速で見ても感動できるのはなぜか。
それは、脳が“物語の構造”を先読みできるようになっているからです。私たちは映像を「この展開はこうなる」と無意識に予測しながら見ています。
つまり、映像を“感じる”というより、“処理する”感覚に近づいている。
これが現代の“感情の速度”です。
下の図のように、テンポの違いによって感じ方の焦点が変わることがわかります。

視聴速度 感情の焦点 受け取る印象
1倍速 余韻・情緒 心情の変化を味わう
1.5倍速 展開・流れ ストーリーのリズムを楽しむ
2倍速 構造・結論 メッセージの要点を捉える

映像制作者に求められる“速度設計”

この時代において、映像制作者は「視聴速度の違い」を前提にした構成を考える必要があります。
特に重要なのは、テンポを変えても伝わる設計です。
たとえば、音声だけで情報が整理できるナレーション、短いカットでも印象が残るカメラワーク、倍速でも破綻しない編集など。1倍速だけを想定した編集は、万能ではないのかもしれません。

“遅くても伝わる”動画とは

速さの中でも内容を伝える動画には共通点があります。
それは、「情報の優先順位が明確」であること。
テキスト・音・映像のどこに重心を置くかがはっきりしている動画は、倍速でも内容が伝わります。
逆に、情報を詰め込みすぎる映像は、視聴速度が上がるほど“無音”のように感じられてしまう。
速くても伝わる作品は、“整理された余白”によって成立しているのです。

“動画が時間”と向き合う

倍速で動画を見る人たちは、映像を軽視しているわけではありません。
むしろ、自分の時間をどう使うかに敏感な人たちです。
彼らに届く動画とは、“速くても残る瞬間”を作るもの。
たった1秒の表情や、0.5秒の音の変化が印象を決める世界。
映像制作は今、“時間の再設計”という新たなフェーズに入っているのかもしれません。
単なる視聴習慣ではなく、人間の感情処理そのものが変化していることの象徴です。
これからの動画制作は、“速さ”と“感情”を対立させず、共存させる設計が求められるのかもしれません。
速度を意識した動画づくりは、視聴者の新しい感性に寄り添う第一歩になるでしょう。

山村の薪割り映像が伝える“自然と暮らす知恵”

地方の山村で行われる薪割りや焚火の作業は、一見すると日常の一コマにすぎません。しかし、映像に残すことで「自然と共に生きる知恵」や「地域の文化的な背景」を伝える貴重な記録となります。都市部の人々にとっては非日常の体験であり、映像を通して“暮らしの根源”を知る機会にもつながります。

薪割りの力強さと動作が持つ映像効果

薪割りは力強さだけでなく、一定の調子を刻む所作が特徴です。斧を振り下ろす瞬間や木が割れる音を映像に収めることでインパクトを与えます。さらにタイムラプスやスローモーションを組み合わせると、単調に見える作業が「人と自然の時間」を強調する映像表現へと変わります。

焚火が映像に与える温度感

焚火は「音」「光」「動き」を兼ね備えた被写体です。薪がはぜる音や炎の揺らぎは、映像に温度や安心感を与えます。特に夜間撮影では、暗闇に浮かぶ炎が視覚的なアクセントとなり、映像全体にドラマ性を生み出します。都市生活では得られにくい“原始的な暖かさ”を伝える点も魅力です。

撮影時のポイント

撮影では、作業の全体像を引きの画角で押さえつつ、手元や薪の割れる瞬間をアップで記録することが効果的です。また、以下のような撮影方法を組み合わせると映像に変化が出ます。

撮影技法 効果
スローモーション 木が割れる瞬間の迫力を強調
タイムラプス 作業全体の流れを短時間で表現
俯瞰ショット 人と自然のスケール感を可視化
音の収録 焚火のはぜる音や斧の衝撃音が臨場感を強化

映像としての文化的価値

山村の暮らしを映像で切り取ることは、地域文化の保存や発信につながります。観光や地域プロモーションにも活用でき、「生活の知恵」や「自然との共生のあり方」を学ぶきっかけとなります。日常の中にある作業を映像化することで、その地域が持つ独自の文化的価値につながります。

薪割りや焚火の映像は、ただの生活作業を超えて「人と自然の関わり」を示す文化的ドキュメント映像になります。動作、炎の揺らぎ、音のリアリティを映像に収めることで、都市生活では味わえない体験を届けられます。地方の山村での暮らしを映像化することは、視聴者にとっても新鮮な発見となり、地域文化を伝える大切な一歩になるでしょう。

なぜ“バッドエンド動画”に惹かれるのか?

SNSで拡散される動画には、笑顔で終わる「ハッピーエンド型」が多く見られます。しかし近年、あえて“バッドエンド”で締めくくる作品が注目を集めています。
例えば、別れ、挫折、未練といった「結末を肯定しきれない物語」。その余韻が、視聴者の記憶に深く残るのです。
SNS世代は、単なる“幸福の物語”よりも、「現実に近い感情の揺らぎ」に共感します。完結よりも、“その後を想像できる余地”が支持されているのです。

“感情の余白”が共感を呼ぶメカニズム

バッドエンド動画の魅力は、感情を“未完”のまま終わらせる点にあります。
心理学的に、人は「未解決の感情」に対して記憶を維持しやすい傾向があります。
図で表すと、次のような構造です。

感情曲線 ハッピーエンド動画 バッドエンド動画
物語の起伏 起→承→転→結 起→承→転→(未結)
視聴後の感情 満足・安心 余韻・共感・再考
拡散動機 「良かったね」共有 「考えさせられた」共有

“終わらない感情”こそが、視聴者を再生ボタンへ引き戻します。

SNSで伸びる「逆共感型コンテンツ」

TikTokやInstagramでは、「あえて救われないラスト」がコメント欄で議論を呼ぶケースがあります。
見る人が「自分ならどうするか?」と考える構造は、共感ではなく“逆共感”です。
つまり、共感ではなく「反応」を促してます。
ハッピーエンドが「気持ちを落ち着かせる」のに対し、バッドエンドは「気持ちを揺さぶり続ける」設計になっており、
この違いが、SNS拡散における強いフックになるのです。

意図的に“救わない”演出

バッドエンド動画は、ただ暗く終わらせればいいわけではありません。
観る人が“その先を思う”よう設計する必要があります。
映像制作のポイントは以下の通りです。

  • ラスト直前で“選択”を提示する(答えを出さない)
  • BGMをフェードアウトさせ、音の余白を残す
  • ナレーションではなく、視線や間で語らせる

この“引き算の構成”が、動画の深度を決めます。

“バッドエンド動画”が人の心を動かすのは、感情を「完結させない設計」にあります。
ハッピーエンドが“安心”を生むなら、バッドエンドは“記憶”を残す。
その違いを理解したうえで、意図的に「未完の物語」を描くことで、長く残る動画が生まれます。
完結ではなく、「考え続けられる余韻」こそが、これからの時代の共感になるでしょう。

会社PR動画と採用動画の違いとは?

企業の動画制作で最も多い質問のひとつが、「PR動画と採用動画って、何が違うの?」というものです。
どちらも“会社を紹介する”という点では共通していますが、目的と届けたい想いや内容がまったく異なります。

PR動画は企業の価値やブランド姿勢を外部に伝えるもの。対して採用動画は、働く人のリアルな姿を見せ、共感で応募意欲を高めるものです。
似ているようでいて、「心の動かし方」が違う。そこを理解することが、動画の成果を分けるカギになります。

目的で分ける“伝えたい軸”の違い

以下のように、目的はスタート地点から異なります。

動画の種類 主な目的 見る相手 伝える軸
会社PR動画 ブランド理解・信頼形成 顧客・取引先・社会 会社の理念・事業の価値
採用動画 応募促進・共感形成 学生・求職者 人・働き方・雰囲気

PR動画は「企業そのもの」を語り、採用動画は「その企業で働く人の姿」を通して語ります。
つまり、PR動画は“会社を外から見せる映像”、採用動画は“中から見せる映像”と考えると整理しやすいでしょう。

見る人の“感情フロー”で比較する

動画を見る相手がどのように感情を動かされていくかを、フローで比べてみましょう。

【会社PR動画】

興味 → 理解 → 信頼 → 共感(社会的視点)

 

【採用動画】

親近感 → 共感 → 憧れ → 行動(個人的視点)

PR動画は、企業の理念やビジョンを通して「社会的信頼」を築く流れ。
一方、採用動画は“人”を主役にし、視聴者が「この人たちと働きたい」と思うまでの“心の近づき方”を設計します。

この「感情の順路」を整理してから構成を考えることで、自然とトーンやカットの選び方が変わります。

どちらも「企業の顔」。だからこそ線引きを明確に

PR動画も採用動画も、最終的には「企業の何を誰にどう伝えるか」を問う映像です。
しかし、伝えたい想いや情報が違えば、構成も演出も変わるべき。

もし両方を同時に制作するなら、

  • PR動画:理念・社会的意義を軸に、ブランドの信頼を築く
  • 採用動画:働く人の息づかいを中心に、未来の仲間を惹きつける

このように“役割分担”を意識すると、映像の役割がわかります。

「会社PR動画」と「採用動画」は、伝える相手・目的・感情設計のすべてが異なります。
それぞれを“社会に向けた言葉”と“未来の仲間に向けた言葉”として位置づけることで、動画の精度は格段に上がります。

混同しがちな2つを整理し、「誰に何を届けたい映像なのか」を明確にする。
それが、企業の動画戦略を一段上に引き上げる第一歩です。

“準備時間”だけで描く、料理人たちのリアル

厨房と聞くと、炎や包丁の音が飛び交う“戦場”を思い浮かべがちです。しかし、実は最も人間的な表情が見えるのは、開店前の“準備時間”。
誰もいないフロアに電気が灯り、冷蔵庫の低いモーター音が響く。その中で包丁を研ぐ音、出汁を取る香りがゆっくりと流れる。動画として記録すれば、喧騒の前の静かな呼吸が浮かび上がります。
この「始まりの静寂」は、日常ドキュメントの中でも希少な題材です。

“準備時間だけ”を切り取ることで見えてくる本質

動画として成立させる鍵は、“始まりの瞬間”だけを描くという思い切りです。
営業中の派手な映像ではなく、まだ何も始まっていない時間帯をメインに据える。
構成としては以下のような流れが効果的です。

時間帯 主なカット 感情のトーン
AM9:00 照明が点く 静けさ・緊張感
AM9:15 食材のチェック/包丁を研ぐ 集中・ルーティン
AM10:00 試作・味見 慣れと熟練
AM10:45 制服を整える 切り替え・高揚

派手さはなくとも、「仕事が始まる準備」という一連の行為そのものが職人の哲学を語ります。

音が語る映像

BGMをあえて排除し、環境音を主役にする構成が効果的です。
包丁の金属音、まな板に落ちる食材の音、鍋から立ち上る湯気の“シュー”という音。
これらを意識的に拾うことで、映像全体に独特のテンポが生まれます。
音を整えるというより、“音を聴く映像”をつくる感覚です。

“動きの少なさ”が集中を生む

この種の動画では、視覚的な派手さよりも「時間の積み重ね」が魅力になります。
たとえば、包丁を研ぐ数分間をリアルタイムで撮り続ける。
視聴者は最初は退屈に感じるかもしれませんが、次第にその単調さの中にリズムを見出します。
一見何も起こらない映像が、逆に“集中”を生むのです。
いわば、「動かない映像」で人を惹きつける挑戦でもあります。

準備時間は“見えない努力”の象徴

厨房の準備時間をテーマにした映像は、料理そのものを描かなくても“味”を感じさせます。
それは、手間や段取り、段階的な緊張の積み上げからです。
職人の誇りは、完成した料理も、その前段の「整える時間」にあります。
映像としての価値は、観る人に“仕事を始めるとはどういうことか”を静かに問いかける点にあります。

厨房の準備時間を記録する映像は、「働くとは何か」を最もシンプルな形で映し出します。
動きが少なくても、そこには意志と集中があり、料理人の精神が流れています。

音で春を撮る|“雪解けの音”で感じる四季の変わり

映像で春を描くとき、多くの人が桜や新緑を思い浮かべます。
しかし、まだ雪が残る時期に耳を澄ませると、春の訪れは“音”としてすでに始まっています。
屋根から落ちる水滴、土に染み込む雪解け水、遠くで鳴く鳥の声。
それらは「目には見えない季節の変化」を伝える、もっとも繊細な春のサインです。
カメラよりも、マイクの方が先に春を見つけているのかもしれません。

「雪解け」をどう撮るか ― 見えない主役の表現法

雪解けの音を中心に構成する映像では、“主役は水音”です。
映像は脇役として、音を支える存在になります。
たとえば、以下のような構成が考えられます。

シーン 音の特徴 映像の印象
朝の屋根から滴る音 高く軽いリズム 光と影のコントラスト
林の中の雪解け ゆるやかな流れ カメラを固定し、空気の動きを映す
川のせせらぎへと変化 力強い連続音 画面の動きも増し、春の気配を強調

映像制作者は“音を撮る”という意識に切り替えることで、四季をより立体的に描けるようになります。

「自然音映像」という文化の記録

自然音は、一見ありふれた環境音のようでいて、実は「その土地の季節文化」を記録するものです。
雪国の春は“音の記憶”とともにあります。
雪解けの響きは、農作業の再開や人々の暮らしの合図を知らせてきました。
そうした音の文化を映像で残すことは、「土地の時間」を保存する行為でもあります。

「静けさ」と「音の変化」で季節を描く

雪解け映像では、ただ音を並べるだけでは“春の移ろい”は伝わりません。
大切なのは、「音の対比」です。たとえば冒頭は無音に近い静寂。
そこに一滴の水が落ちる音が入り、やがて複数の音が重なり、鳥の声が加わる。
音量や密度の変化で、春の進行を感じさせることができます。
この「音の構成力」が、映像としての完成度を左右します。

撮ることは、聴くこと

“雪解けの音”を撮る映像制作は、自然と向き合うことでもあります。
映像制作者はカメラを構える前に、まず“耳を澄ませる”ことから始める。
それは、見慣れた風景に新しい命を見出す行為です。
春を探すのではなく、“春に気づく”。
その瞬間を音で記録することが、この映像ジャンルの本質と言えるでしょう。

「雪解けの音で春を撮る」ということは、映像表現を広げます。
自然音が持つ時間軸を見つめ直すことで、私たちは季節の感じ方そのものを再発見できます。
画で春を“見せる”のではなく、音で春を“感じさせる”。
そのアプローチが、これからの映像制作に新しい静けさと深みをもたらすはずです。

冷蔵庫から見える“食材の記録”を映す

家庭の映像というと、多くの人が「リビング」や「食卓」を思い浮かべます。しかし、実は“最も生活を語る空間”は冷蔵庫の中にあります。
食材の種類、配置、残り具合。どれもその家のペースや価値観を静かに映し出します。
1週間を通して食材の入れ替わりを撮ることで、「生活の循環」が見えてきます。

生活の「痕跡」を映す映像

この映像制作では、人物を直接撮らなくても“人の存在”を感じさせることが可能です。
・月曜:買い物帰りの満たされた庫内
・木曜:仕事の忙しさで手つかずの食材
・日曜:空っぽになり、またリセットされる瞬間
こうした「冷蔵庫の時系列変化」を並べるだけで、生活感や感情が伝わります。
いわば、“冷蔵庫という生活のミクロドキュメンタリー映像”です。

“生活感”をどの距離で描くか

映像のポイントは「撮る距離感」にあります。
・庫内の引き映像 → 生活全体の俯瞰
・手元アップ → 食材との丁寧な関係
・扉の開閉音 → 朝の忙しさや夜の静けさの象徴
こうした映像要素を整理すると、“生活の温度”を感じ取れる構成になります。

撮影要素 表現できる感情
扉の開閉音 日常のリズム・呼吸
食材の減少 時間の経過・疲労感
新しい調味料 変化や希望の兆し

 “整いすぎない映像”が持つリアリティ

生活ドキュメンタリーで重要なのは「完璧さ」ではないことです。
冷蔵庫に入れ忘れた野菜や、ラベルが剥がれかけた瓶の存在こそが、リアルな生活の証拠。
映像を“整える”より、“そのままを残す”ことが、かえって人の心を惹きつけます。
美しくまとめるよりも、「生活の不揃いさ」をデザインとして受け入れることが肝要です。

“冷蔵庫映像”が開く新しい日常ドキュメンタリーの可能性

家庭だけでなく、社員食堂やシェアハウスなど、複数人の生活を観察する際にも応用が可能です。
個々の食材選びや保存スタイルに、“人と人の違い”があります。
結果として、「生活映像=人の哲学を映すもの」という視点が強まります。
何気ない冷蔵庫の中が、文化・職業・世代といった広い社会の断片を映し出す装置になるのです。

「冷蔵庫を撮る」という行為は、単なる生活描写ではなく、「時間」と「暮らし方」を記録するドキュメンタリー映像だと思います。
そこには、整えた美ではなく、日々の流れをそのまま受け入れる誠実さがあります。
“日常映像”の本質は、特別な演出ではなく日々の中にある「リアルな温度」を、どうすくい上げるか。
冷蔵庫という小さな空間から見えてくるのは、私たちの“生活そのもの”なのかもしれません。

家電が語るキッチンの記憶|音で描く食文化映像

私たちが日々の食を支える道具として当然のように使う家電。
しかし、その存在を主役に据えた映像は少ないです。
炊飯器の「カチッ」というスイッチ音、電子レンジの「チーン」、
冷蔵庫の低いモーター音─。それらはすべて、調理する音の風景です。
家電の音を軸に料理を描くことで、人と機械が共に紡いできた“食文化の裏側”が見えてきます。

テクノロジーが生んだ“新しい家庭の記録”

家庭の食文化は、火や包丁の時代から、スイッチと電子音の時代へ。
これは単なる便利さの進化ではなく、
「食との向き合い方」の変化を記録する文化現象でもあります。
映像でこの変化を伝えるには、以下のような構成が効果的です。

象徴するもの
炊飯器の蒸気音 家族の帰りを待つ時間
電子レンジの回転音 現代の“調理作業”のテンポ
食洗機の水音 労働の軽減=生活リズムの変化
冷蔵庫の開閉音 “食の管理”という無意識の習慣

音を手がかりにすることで、
「現代の家庭」がどう進化してきたかが見えてきます。

“道具の視点”が映像を生む余白

このテーマの魅力は、あくまで「人」ではなく「道具」が語ること。
人の手元を映さず、炊飯器の視点からごはんを見つめる。
電子レンジの内部から、回るお弁当をじっと見つめる。
そうした“無機質な視点”が、逆に人のぬくもりを引き出します。
たとえば、炊き上がりの湯気に映る光、指がボタンに触れる一瞬の動き。
家電を通して“人間らしさ”を描くアプローチは、ドキュメンタリー映像として新鮮です。

音のレイヤーで描く“暮らしの詩”

この映像の鍵は、音の構成にあります。
家電の音は規則的で、人工的。
一方で、その背後には包丁の音、足音、話し声─などの生活音が重なります。
音のレイヤーを整理すると、次のような関係が見えてきます。

【家電音】:人工のリズム(機械的・均質)

【生活音】:人の存在(不規則・温かい)

※ この対比が“暮らしの呼吸”を生む

映像では、音の強弱・間・消失を操作し、
「テクノロジーが寄り添う人間の暮らし」を表現できます。

“便利さ”ではなく、“記憶”を描くドキュメンタリーへ

このテーマの本質は、家電を通して「時間」を記録することです。
炊飯器の蒸気、レンジのタイマー音、それらは毎日の中で繰り返される“無数の記憶”の積み重ね。
便利さを超えて、「生活の詩」をどう描くか。

「家電が主役の食文化ドキュメンタリー映像」は、単なる“調理映像”でも“プロモーション”でもありません。
道具が語ることで、初めて見えてくる“生活の詩”がある。
その音、その光、その湯気の向こうには、現代の家庭が静かに刻む、日々の記憶が息づいています。

情報社会の静寂|“ぼーっとできる”映像

現代人は1日に膨大な数の情報接触をしているといわれます。
そのなかで、脳は常に判断・比較・選択を強いられています。
一方で、「ぼーっとする時間がほしい」と感じる人が増えているのも事実。
これは「癒やし」ではなく、“思考の休止”を求めているサインです。
動画を使ってこの「思考の休止」をつくることが可能です。

“癒やし映像”との決定的な違い

癒やし映像が「疲れを癒す目的」で構成されているのに対し、
“ぼーっとできる映像”は、目的すらないのが特徴です。

比較項目 癒やし映像 ぼーっと映像
目的 リラックス、安らぎ 無目的、思考停止
穏やかなBGMや環境音 音がない/一定の環境ノイズ
構成 物語・メッセージ性あり 連続性なし・流れに委ねる
感情 癒やされる 何も感じない(=解放)

この「何も起きない時間」が、むしろ脳に休止を与えます。

無思考映像

映像を“ぼーっとできる”ものにするには、編集が重要です。
・構図は動かさない
・BGMは使わず、風や遠くの車の音など環境音をそのままに
・1カットを10秒以上キープする

例えば、風に揺れるカーテン、通りすぎる雲、電車のホームで人がいなくなる瞬間。
これらは“情報がない映像”ですが、見る人の思考をそっと休ませます。

“都市の空白”を撮る

自然映像だけでなく、都市にも“無心の瞬間”は潜んでいます。
夜明け前のコンビニの灯り、閉店後の商店街、信号が切り替わる数秒。
そこには「人の気配があるのに動きが止まる」不思議な静けさがあります。
動画制作者は、こうした“都市の空白”を見つけ出す目を持つことが重要です。
「美しさ」よりも「無音と無目的」をどう切り取るかが鍵になります。

“ぼーっとできる映像”とは、感動や癒やしを与えるものではなく、
ただ「何も起きない」ことに意味を見出す動画です。
映像制作において最も難しいのは、何かを“足す”ことではなく、
“何も起こらない空間”を作ること。
それは、現代人の思考が常に動き続ける社会において、
いちばん贅沢な時間の提供といえるかもしれません。