2025年 11月 の投稿一覧

会社PR動画と採用動画の違いとは?

企業の動画制作で最も多い質問のひとつが、「PR動画と採用動画って、何が違うの?」というものです。
どちらも“会社を紹介する”という点では共通していますが、目的と届けたい想いや内容がまったく異なります。

PR動画は企業の価値やブランド姿勢を外部に伝えるもの。対して採用動画は、働く人のリアルな姿を見せ、共感で応募意欲を高めるものです。
似ているようでいて、「心の動かし方」が違う。そこを理解することが、動画の成果を分けるカギになります。

目的で分ける“伝えたい軸”の違い

以下のように、目的はスタート地点から異なります。

動画の種類 主な目的 見る相手 伝える軸
会社PR動画 ブランド理解・信頼形成 顧客・取引先・社会 会社の理念・事業の価値
採用動画 応募促進・共感形成 学生・求職者 人・働き方・雰囲気

PR動画は「企業そのもの」を語り、採用動画は「その企業で働く人の姿」を通して語ります。
つまり、PR動画は“会社を外から見せる映像”、採用動画は“中から見せる映像”と考えると整理しやすいでしょう。

見る人の“感情フロー”で比較する

動画を見る相手がどのように感情を動かされていくかを、フローで比べてみましょう。

【会社PR動画】

興味 → 理解 → 信頼 → 共感(社会的視点)

 

【採用動画】

親近感 → 共感 → 憧れ → 行動(個人的視点)

PR動画は、企業の理念やビジョンを通して「社会的信頼」を築く流れ。
一方、採用動画は“人”を主役にし、視聴者が「この人たちと働きたい」と思うまでの“心の近づき方”を設計します。

この「感情の順路」を整理してから構成を考えることで、自然とトーンやカットの選び方が変わります。

どちらも「企業の顔」。だからこそ線引きを明確に

PR動画も採用動画も、最終的には「企業の何を誰にどう伝えるか」を問う映像です。
しかし、伝えたい想いや情報が違えば、構成も演出も変わるべき。

もし両方を同時に制作するなら、

  • PR動画:理念・社会的意義を軸に、ブランドの信頼を築く
  • 採用動画:働く人の息づかいを中心に、未来の仲間を惹きつける

このように“役割分担”を意識すると、映像の役割がわかります。

「会社PR動画」と「採用動画」は、伝える相手・目的・感情設計のすべてが異なります。
それぞれを“社会に向けた言葉”と“未来の仲間に向けた言葉”として位置づけることで、動画の精度は格段に上がります。

混同しがちな2つを整理し、「誰に何を届けたい映像なのか」を明確にする。
それが、企業の動画戦略を一段上に引き上げる第一歩です。

“準備時間”だけで描く、料理人たちのリアル

厨房と聞くと、炎や包丁の音が飛び交う“戦場”を思い浮かべがちです。しかし、実は最も人間的な表情が見えるのは、開店前の“準備時間”。
誰もいないフロアに電気が灯り、冷蔵庫の低いモーター音が響く。その中で包丁を研ぐ音、出汁を取る香りがゆっくりと流れる。動画として記録すれば、喧騒の前の静かな呼吸が浮かび上がります。
この「始まりの静寂」は、日常ドキュメントの中でも希少な題材です。

“準備時間だけ”を切り取ることで見えてくる本質

動画として成立させる鍵は、“始まりの瞬間”だけを描くという思い切りです。
営業中の派手な映像ではなく、まだ何も始まっていない時間帯をメインに据える。
構成としては以下のような流れが効果的です。

時間帯 主なカット 感情のトーン
AM9:00 照明が点く 静けさ・緊張感
AM9:15 食材のチェック/包丁を研ぐ 集中・ルーティン
AM10:00 試作・味見 慣れと熟練
AM10:45 制服を整える 切り替え・高揚

派手さはなくとも、「仕事が始まる準備」という一連の行為そのものが職人の哲学を語ります。

音が語る映像

BGMをあえて排除し、環境音を主役にする構成が効果的です。
包丁の金属音、まな板に落ちる食材の音、鍋から立ち上る湯気の“シュー”という音。
これらを意識的に拾うことで、映像全体に独特のテンポが生まれます。
音を整えるというより、“音を聴く映像”をつくる感覚です。

“動きの少なさ”が集中を生む

この種の動画では、視覚的な派手さよりも「時間の積み重ね」が魅力になります。
たとえば、包丁を研ぐ数分間をリアルタイムで撮り続ける。
視聴者は最初は退屈に感じるかもしれませんが、次第にその単調さの中にリズムを見出します。
一見何も起こらない映像が、逆に“集中”を生むのです。
いわば、「動かない映像」で人を惹きつける挑戦でもあります。

準備時間は“見えない努力”の象徴

厨房の準備時間をテーマにした映像は、料理そのものを描かなくても“味”を感じさせます。
それは、手間や段取り、段階的な緊張の積み上げからです。
職人の誇りは、完成した料理も、その前段の「整える時間」にあります。
映像としての価値は、観る人に“仕事を始めるとはどういうことか”を静かに問いかける点にあります。

厨房の準備時間を記録する映像は、「働くとは何か」を最もシンプルな形で映し出します。
動きが少なくても、そこには意志と集中があり、料理人の精神が流れています。

音で春を撮る|“雪解けの音”で感じる四季の変わり

映像で春を描くとき、多くの人が桜や新緑を思い浮かべます。
しかし、まだ雪が残る時期に耳を澄ませると、春の訪れは“音”としてすでに始まっています。
屋根から落ちる水滴、土に染み込む雪解け水、遠くで鳴く鳥の声。
それらは「目には見えない季節の変化」を伝える、もっとも繊細な春のサインです。
カメラよりも、マイクの方が先に春を見つけているのかもしれません。

「雪解け」をどう撮るか ― 見えない主役の表現法

雪解けの音を中心に構成する映像では、“主役は水音”です。
映像は脇役として、音を支える存在になります。
たとえば、以下のような構成が考えられます。

シーン 音の特徴 映像の印象
朝の屋根から滴る音 高く軽いリズム 光と影のコントラスト
林の中の雪解け ゆるやかな流れ カメラを固定し、空気の動きを映す
川のせせらぎへと変化 力強い連続音 画面の動きも増し、春の気配を強調

映像制作者は“音を撮る”という意識に切り替えることで、四季をより立体的に描けるようになります。

「自然音映像」という文化の記録

自然音は、一見ありふれた環境音のようでいて、実は「その土地の季節文化」を記録するものです。
雪国の春は“音の記憶”とともにあります。
雪解けの響きは、農作業の再開や人々の暮らしの合図を知らせてきました。
そうした音の文化を映像で残すことは、「土地の時間」を保存する行為でもあります。

「静けさ」と「音の変化」で季節を描く

雪解け映像では、ただ音を並べるだけでは“春の移ろい”は伝わりません。
大切なのは、「音の対比」です。たとえば冒頭は無音に近い静寂。
そこに一滴の水が落ちる音が入り、やがて複数の音が重なり、鳥の声が加わる。
音量や密度の変化で、春の進行を感じさせることができます。
この「音の構成力」が、映像としての完成度を左右します。

撮ることは、聴くこと

“雪解けの音”を撮る映像制作は、自然と向き合うことでもあります。
映像制作者はカメラを構える前に、まず“耳を澄ませる”ことから始める。
それは、見慣れた風景に新しい命を見出す行為です。
春を探すのではなく、“春に気づく”。
その瞬間を音で記録することが、この映像ジャンルの本質と言えるでしょう。

「雪解けの音で春を撮る」ということは、映像表現を広げます。
自然音が持つ時間軸を見つめ直すことで、私たちは季節の感じ方そのものを再発見できます。
画で春を“見せる”のではなく、音で春を“感じさせる”。
そのアプローチが、これからの映像制作に新しい静けさと深みをもたらすはずです。

冷蔵庫から見える“食材の記録”を映す

家庭の映像というと、多くの人が「リビング」や「食卓」を思い浮かべます。しかし、実は“最も生活を語る空間”は冷蔵庫の中にあります。
食材の種類、配置、残り具合。どれもその家のペースや価値観を静かに映し出します。
1週間を通して食材の入れ替わりを撮ることで、「生活の循環」が見えてきます。

生活の「痕跡」を映す映像

この映像制作では、人物を直接撮らなくても“人の存在”を感じさせることが可能です。
・月曜:買い物帰りの満たされた庫内
・木曜:仕事の忙しさで手つかずの食材
・日曜:空っぽになり、またリセットされる瞬間
こうした「冷蔵庫の時系列変化」を並べるだけで、生活感や感情が伝わります。
いわば、“冷蔵庫という生活のミクロドキュメンタリー映像”です。

“生活感”をどの距離で描くか

映像のポイントは「撮る距離感」にあります。
・庫内の引き映像 → 生活全体の俯瞰
・手元アップ → 食材との丁寧な関係
・扉の開閉音 → 朝の忙しさや夜の静けさの象徴
こうした映像要素を整理すると、“生活の温度”を感じ取れる構成になります。

撮影要素 表現できる感情
扉の開閉音 日常のリズム・呼吸
食材の減少 時間の経過・疲労感
新しい調味料 変化や希望の兆し

 “整いすぎない映像”が持つリアリティ

生活ドキュメンタリーで重要なのは「完璧さ」ではないことです。
冷蔵庫に入れ忘れた野菜や、ラベルが剥がれかけた瓶の存在こそが、リアルな生活の証拠。
映像を“整える”より、“そのままを残す”ことが、かえって人の心を惹きつけます。
美しくまとめるよりも、「生活の不揃いさ」をデザインとして受け入れることが肝要です。

“冷蔵庫映像”が開く新しい日常ドキュメンタリーの可能性

家庭だけでなく、社員食堂やシェアハウスなど、複数人の生活を観察する際にも応用が可能です。
個々の食材選びや保存スタイルに、“人と人の違い”があります。
結果として、「生活映像=人の哲学を映すもの」という視点が強まります。
何気ない冷蔵庫の中が、文化・職業・世代といった広い社会の断片を映し出す装置になるのです。

「冷蔵庫を撮る」という行為は、単なる生活描写ではなく、「時間」と「暮らし方」を記録するドキュメンタリー映像だと思います。
そこには、整えた美ではなく、日々の流れをそのまま受け入れる誠実さがあります。
“日常映像”の本質は、特別な演出ではなく日々の中にある「リアルな温度」を、どうすくい上げるか。
冷蔵庫という小さな空間から見えてくるのは、私たちの“生活そのもの”なのかもしれません。